https://twitter.com/maskot1977/status/766225852166135808
こちらのツイートがTumblrで流れてきて、うーむと思ったので。
「諦めなければ夢は叶う」という伝説についての考察を図示したものなのだが、夢が叶った人のなかで諦めた人は皆無だということを考えると、「諦めなかったのに夢が叶わなかった人」について考えないとなぜ「諦めなければ夢は叶う」という命題が間違っているのかが分からないのではないか。
そして「諦めなかったのに夢が叶わなかった」理由を想像してみると・・・
・本人に夢をかなえるための才能/素質がなかった
・そもそも物理的に不可能な夢だった
・夢を追い求める前に病気や事故などでそれができなくなった
・実はそんなに真剣に夢を目標として考えていなかった。
・そもそも夢が少なかった
という理由が思い当たる。
たとえば僕は「ワープ航法のある時代に宇宙戦艦の艦長になりたい」という夢を抱いたことはあるが、現代の科学ではワープ航法が発明されていないため、ひょっとすると永久に発明されないかもしれないため、この夢を叶えることは物理的に不可能である。
しかし、もし僕に天才的な能力があれば、高校生くらいのときにワープ航法を発明し、宇宙艦隊を組織するのに必要な資源と理由をでっち上げ、40歳までにはワープ航法を実現した宇宙戦艦を建造し、その艦長になることも不可能ではなかったかもしれない。ただそれはできなかった。つまり僕には才能や素質がなかったとも言える。
加えて、この夢を真剣に実現しようと努力したことは一度もなく、ただ漠然と、「そんなふうになれたらいいなあ」と思っていただけだ。これは果たして夢と言えるのか。妄想の域を出ないのだ。
他にも「ファッションデザイナーになりたい」とか「漫画家になりたい」という夢を持っていた。どれも実現しなかった。
けれども、僕が結局、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、コンピュータの専門家になりたいという夢と、経営者になりたいというものだった。それは今、実現している。すなわち、諦めなかったから僕の夢は叶ったと言える。
子供といえどかなりクレバーなので、実現不可能な夢を抱かないものだ。
ある程度の実現性を考えて夢というか進路を決定し、そのために努力する。
んで、「諦めるかどうか」という選択を僕は今まで一度もしたことがない。
僕がコンピュータの専門家になるのはもともと必然的なことであり、経営者になることも(どちらかと言うとなりたくなかったが)、また必然だった。
大人になる過程で経営者というのは基本的にろくでなしであることを学び、その生き様が極めて面倒くさい連鎖反応の果てにあることを学んだ僕は、学生時代に一度「経営者は目指さない」と言っていたことがある。それは夢を諦めたのではなく、むしろ現実的な選択としての進路調整をしたつもりであり、実際、会社を作ることになったのはそれから6年後だった。
思うに、「諦めるか、そうでないか」を考えた時点で、それはもはや諦めるべき夢なのかもしれない。
少なくとも自分にはそういう選択がなかった。
宇宙戦艦の艦長になる夢も、諦めるというよりも「そりゃむりだろ」とどこかで思っていたし、ファッションデザイナーになる夢も、最初から目指してなかった。
「諦めなければ夢は叶う」という言葉をでは誰に対して放つかと考えると、これは当然、これから諦めようとしている人であろう。
だとすると、この言葉は大変残酷な言葉だ。
すなわち、諦めるべき人に対して、なお夢を追い続けよと脅迫しているに等しいからだ。
だからみんな、なんとなくこの言葉が嫌いなんだろうなあ
と思った。