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AIで仕事がなくなっちゃう!というよくある誤解

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 春から某大学で客員研究員をやることになったみたいです。辞令とかこないので本当になるのか不安ですが、どうもなるみたいなので、たぶんやるんでしょう。


 研究員になるとなにがいいのかというと、過去の論文に好きなだけアクセスできるのだそうです。

 そして大学院生とは違い、授業に出たり授業料を払ったりしなくていいらしいのです。なにそれ最高かよ。


 そして、それに絡んでとある研究室の事務所開きのイベントで、「AIが人間のしごとを奪うって本当ですか」みたいな質問をしていたら、登壇している人たちがしどろもどろの返答をしているのに業を煮やして乱入したのです。


 いま、僕らのもとには沢山の依頼が来ています。

 その依頼のほとんどは、「この仕事をなくしたい」というものです。


 「なくしたい」というか、「自動化したい」というのが正しいでしょうか。


 それで、たいていの場合、「自動化したい」仕事というのは、極めて非人間的な仕事なんです。

 たとえば議事録。


 今でも、信じられないくらいに多くの会社が、ほとんど全ての会議で、議事録をとる係を決めています。

 しかし議事録は、とるのも大変ですが、読むのも大変です。


 議事録が役に立つのは、あとで揉めて喧嘩になったときくらいです。

 こういうのはエヴィデンスとして残す必要があるものの、きほんてきには発言が網羅されていれば誰が書いてもいい類のものです。


 その割には、その案件に詳しくなかったり、専門用語がわからなかったりすると正しく議事録が書けずトンチンカンなことになったりしてしまいます。



 だから議事録を書くのは新入社員のOJT的な意味合いがあったりするのですが、そんなに毎年新入社員が入ってくる会社ばかりでもないので、ひたすら議事録を書くのが仕事という人が必ず一定数存在します。


 その人は議事録をまとめるのが主な仕事であり、それが知的な作業だと信じています。確かに知的作業であることは間違いないですし、それをきちんとやりとげるのに相応の知的レベルが必要なことはわかります。しかし、当然、ちゃんとした議事録が書ける人というのは頭が良くて能力が高いわけです。


 ところが頭が良くて能力が高い、すなわち給料も高い人が議事録を書くというのは、たいへんな損失です。本来はその議事に積極的に参加すべき人が、議事録を書くという仕事にとられているわけです。


 誰かが書かなければならないので議事録を書く人が必要なわけです。当事者が議事録を書くケースもありますが、実際にやるとわかりますけどどうしても自分でまとめながらしゃべるというのはかなり至難の業です。


 当事者が議事録を書くのが効率的ならば、国の会議は全部議事録を当事者が書くようになるはずですが、国の会議では議事録は官僚が書きます。たぶん公務員の中で最も給料が高い部類の霞が関高級官僚の能力が、全ての会議で少なくとも一人か2人は議事録をまとめるために使われているのです。


 もし仮にAIによって議事録を書くことが自動化されたらどうでしょうか。

 エヴィデンスとして必要なだけなら、議事録は文字だけで残さず、音声でも残しておく方が良いでしょう。


 議事録を細かく読みたい人もいれば、サマリーだけでいい人も居ます。

 文字は音声より圧倒的に速く情報伝達できますから、たとえ音声で残っていても文字で見たいという場合は多々あります。また、文字にするときに要約したりわかりやすく編集したりすることはよくあります。僕の本も読みやすいように意味を壊さない程度に前後関係を一部入れ替えたりしています。


 そのために優秀で給料の高い人の時間が削られているのは紛れもない事実で、こうした人が議事録の編纂に費やす時間を減らすことができれば、そのぶんもっと創造的で賢い人にしかできない人がやるべきことに集中できるわけです。これがAIを仕事に活用する大きな意味になります。


 こうした例は他にも数多くあります。

 AIを仕事にしてビックリしたのは、世の中にはこれほど非人間的な仕事が溢れているのかということです。


 僕はむかしからラーメンが大好きなのですが、自分はラーメン屋の店主にはなれないなと思っていました。

 僕は飽きっぽいので同じ味のラーメンを毎日ひたすら作り続けるというのは、無理なのです。


 ところがそういう話をすると「いやいやいやいや」という人が居ます。


 「ラーメンは同じ味に感じるとしても、毎日天気も違えばスープの出来も違うわけで、そこを美味しい感じに調整するのは職人の舌と腕なんよ」


 という話をされます。


 もちろんそれはその通りです。ただ、それは味覚を正しく理解できるセンサーと、同じ味覚を正確に再現するように動くロボットアームができればロボットの方がうまく調理できる可能性が高まるはずです。


 結局難しいのは、味がブレないということで、人間というのは同じ動きを繰り返すのがそもそも苦手なので、ロボットのほうが得意なのです。


 これを「ラーメン屋のしごとがなくなる」と見るか、「ラーメン屋の店主がよりクリエイティブな新メニュー開発に時間をとれるようになった」と考えるか、判断の別れるところです。


 僕はラーメンが好きなので、いろんな新しいラーメンが作られる世界はユートピアですが、できるだけ新しいことをしたくない人にはとんでもないディストピアになります。どんな人も、クリエイティブであることにしか価値がなくなってしまうからです。


 要するにAIでなくなるのは、まずは「できればやりたくない仕事」です。


 ところが質問をしてきた人は女優さんで、彼女は「クリエイティブな仕事まで奪われてしまうんじゃないか」ということを気にしていました。


 これに対する答えは僕ではなくて藤井先生に言われてしまったので、クチを挟む暇がなかったのですが、僕なりの考えを述べます。



 「AIによってクリエイティブな仕事は奪われるのではなく、より楽しくなる」



 ということです。


 AIが実現するのは人間の能力拡張、つまりヒューマン・オーギュメンテーションです。

 たとえば僕は絵が全く書けませんが、僕が適当に書いた絵を適当にいい感じにするAIというのは作ることが出来ます。


 そうして生まれたものは、AIが半分以上、いや大部分を書いていたとしても、僕の作品ということになるわけです。


 絵が上手い人にとっても恩恵があります。

 絵が上手い人が適当に絵を描くと、続きを書いてくれるようなものも作れるはずです。


 すると、手間が省けます。


 人間のクリエイティビティというのは、AIの提案に対して「好き/嫌い」を判断することになります。


 僕はいろんなAIを作ったり見たりしてきましたが、いまのところAIの出力結果を「そのまんま使って」なにか作品ができるという確信は全くありません。


 我々はどちらかというとAIの出力結果を大量に見て、その中から「なんだか面白そうな部分」を取り出したり、といったことはできますが、「とりあえず面白い話聞かせてよ」と言ってもAIが必ず面白い話をできるようになる未来というのはまだまだ当分先だと思いますし、なんなら永遠に来ないかもしれません。


 面白いか面白くないかは人間にしか判断できないからです。


 コンピュータの機械化とともにプログラマーという仕事が生まれたように、AIの時代にはAIデザイナーのような職業が生まれるでしょう。


 そしてもしかすると、なくなる仕事よりも増える仕事の方が多くなるかもしれません。


 AIに仕事を奪われてしまう、というのは間違いではありませんが、どちらかというと「奪ってくれてありがとう」と感謝することの方が多いのではないかと思います。



 僕は部屋掃除がまったく苦手なので、ロボットがかわりにやってくれたらとても嬉しい。

 きっとそういう時代が来るのではないかと思います。


 そのとき家政婦さんは仕事を失うかもしれませんが、そのかわり、もっと楽しいこと、もっと有意義なことに時間を使えるようになるでしょうね。



 この話はまたどこかで詳しく書きたいと思います



夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

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