藤沢数希のポエムが炎上してる。
ポエムが炎上するって凄いよね。
ちなみに昨年iPhoneXが発表された時にEngadget 日本版で一番読まれたのが僕のポエムらしい。それを聞いて昨年の忘年会ではわざわざ現地入りしてレポートを書いた本職のITジャーナリストたちが「コタツ記事じゃねえか!」と憤慨してたらしい。
しかしな諸君、もはやスマホのレポートなんてポエムとしてしか書けないと思うのだよ。ワインのテイスティングレポート同様、スマホの違いなんてほとんど普通の人にはわからない。僕だって、矢崎飛鳥(Engadget日本版編集長)に頼まれなければわざわざ起きて書かないよ。
さて、ITジャーナリストの方々の中には、自分の記事をポエム呼ばわりされると怒る人もいるらしいのだが、ちょっと待って欲しい。ポエムというのはあらゆる文章の中でもっとも芸術的なものだ。むしろ自分で詩人であると名乗るのはおこがましくても、自分の感じたこと、想像したことを豊かな言葉で表現して伝えるというのはかなりの超絶技巧であるはずだ。たとえそれをポエムと呼ぶ人が居たとして、なにを恥じることがあるだろうか。
ただ、藤沢数希のポエムが炎上しているのは、面白いくらい矛盾しているからだ。引用してみよう。
僕は基本的にテクノロジーを全く信用していません。着るものは、綿でできたシャツにカシミアのコート、革の靴。好きな食べ物は上質な牛肉に赤ワイン…。楽しいことは恋愛、幸せを感じるの家族団欒。すべて1000年以上前からあるものばかりだ。テクノロジーはぜんぶまがい物です。
というセリフをテクノロジーの権化であるTwitterで書いてネットで世界に配信しているという矛盾が面白いので大喜利が始まってしまった。
ちなみに僕はどちらかというと藤沢数希は「テクノロジー」という言葉が好きだと思う。
彼はテクノロジーという言葉に過度の愛着があって、ふつうに考えたら「それはテクノロジーじゃないだろ」ということまで「テクノロジー」と呼びたがる。彼の主張する恋愛工学などはまさにそう。単なるナンパテクニックをテクノロジーと呼ぶくらい、テクノロジーという言葉にロマンを感じているのだと思う。
テクニックとテクノロジーは当然、違う。テクニックは属人的なものであり、使うためには訓練を要する。テクノロジーは普遍的なツールを構築する方法論であり、そのツールを適切な手順で使えば誰でも同じ結果を得ることが出来る。
僕が数学を愛しすぎて憎んでいるのと同様、藤沢数希もテクノロジーという言葉(と藤沢数希の独自解釈)にロマンをいだきすぎてとりあえずツンしてみたくなったのだろう。
もっとも「テクノロジーはぜんぶまがいもの」とまで言わなければここまで炎上しなかったんじゃないかな。
人間はテクノロジーによって進化してきた。

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この1000年の間に発明されたものは数多い。20世紀のコンピュータやラジオ、テレビは言うに及ばず、物理学(19世紀)、微積分(17世紀)、紙とペン(16世紀)、ペニシリン(20世紀)、鉄筋コンクリート(19世紀)、発電所(19世紀)、ちなみに藤沢数希が1000年以上前からあると主張しているワインも、たしかに存在はするが、ブルゴーニュでワインが始まったのが11世紀、それがフランスで普及したのは17世紀であり、ボルドーの5大シャトーがうまれたのも16世紀なので、それを外すとすると藤沢数希が飲んでるワインはかなりの確率で二級品であることが伺える。
当然ながら15世紀以降のワインはまさしくテクノロジーの産物であり、さまざまな醸造家が試行錯誤を繰り返して安定した品質を保つよう数百年に渡る努力を積み重ねている。それをまるきり無視して「好きなものはワインだからテクノロジーはまがい物」と断定するのはワインに対しても失礼だろう。
テクノロジーの凄いところは、その存在を意識に登らせないところにある。
普段、朝起きて風呂にはいるときに「テクノロジーすごい」とはめったに思わない。朝起きて風呂にはいるときに思うことは「あーあ、今日も仕事か」である。
これが実際にはテクノロジーの凄さだ。
昔なら、風呂を焚くための奴隷なり家族なりが必要で、風呂に入っている間はたえず湯加減についてああだこうだ指示する必要があったはずだ。
駅弁もテクノロジーの賜物である。
駅弁にハマりすぎて駅弁漫画を夢中になって読んでいる。

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が、この漫画、古いせいもあるんだけど、どうも主人公が料理人のくせに味がわかってんだかわかってないんだかよくわからない。感想を見てもまるで味が伝わってこない。まあ漫画だからいいんだけど。
もうひとつ気になるのは主人公がやたらジェットを使うことだ。ジェットというのは、駅弁にたまにある、紐を引っ張ると発熱して暖かくなる仕組みである。
僕はジェットがあんまり好きではない。というか買ったことがあるのは一回だけかな。まず、嵩張る。発熱したあとは熱くなりすぎてすぐ食べれない。また、そもそも再加熱して食べるというのが弁当の美学に反している気がする、などの理由がある。
弁当というのはコンパクトで冷めても美味しい、というのが大前提にあって、これがジム・カーナのような緊張感を産んでいると思うのだが、何でもかんでも一律に温めるジェットは、逆に弁当に制約が大きくなる。たとえば加熱して食べないもの、温泉卵とかいくらとかにとってジェットは邪魔だし、結局再加熱が前提になることによって弁当の表現の幅が狭まってしまう。
それともう一つ、ジェットはテクノロジーとしては自己主張が強すぎる。
「やってまっせー」という感じが鼻につく。そうじゃないだろ。もっと意識に登らないレベルで支えてくれよ。たとえば容器の素材を工夫してさりげなく保温性を高める、とかならいい。再加熱が前提の料理というのは料理を途中で放棄しているようであまり好きになれない。
真のテクノロジーとはさり気なく、知らないうちに人々の生活をより良いものにしているべきだ。たとえばiPhoneに話を戻すと、iPhoneに追加される新機能というのは全てそういう意味では徹底して「さりげない」テクノロジーに終始している。カメラが2つ搭載されても、さり気なく拡大する。Face IDも、さりげなくロックを解除する。これは指紋認証も同じだ。
僕は日常的に古いiPad miniと、iPad ProとiPhoneXを使っているが、Touch IDなしのiPad miniを使ってから指紋認証付きのiPad Proを使うとそのさり気なさに感動するし、同じ理由でiPhoneXのFaceIDには感動する。
テクノロジーの恩恵にどっぷり浴している人が、テクノロジーの価値を意識できないほど生活に溶け込んでいるとすれば、それはテクノロジーの勝利と呼ぶ他はない。