僕はそれほどでもないんです。確かによく出来た映画ですが、オリジナリティがないじゃないですか、どのシーンも。あるシーンはエヴァのままだし、またあるシーンはこれまでのゴジラ映画のイメージの再現、それと政治家や官僚たちが早口で応酬する、あの会議シーンだって岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」のタッチじゃないですか。
あったなあ、エヴァのとき、そういう議論。
でもそのとき庵野監督はエヴァ旧劇直後の本の中で「自分には自分がそれまで見てきた映画や場面しか材料がない。だから全部吐き出すしかない、それしかないんだから」というようなことを語っていたと思う。

- 作者: 庵野秀明
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2014/11/20
- メディア: Kindle版
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これがKindle Unlimitedで読めるとは・・・それだけでも入会する価値はある。
当時は貪るように読んだもんだ。
先の記事の中でも「オリジナリティがない」という指摘は否定されているが、まず庵野作品を「理解」しようと思ったら、この二冊は読んでおかなければ話にならない。
僕も旧テレビシリーズを見た当時(まだハタチくらいだったかな)や、旧劇場版を見た帰りは「なんであんなに"みたことのあるもの"ばかりなのに、全体として"みたことのない話"や"見たかった話"になっているんだろう」と首を傾げながら帰った。
そして当時は駆け出しのゲーム屋として、「自分にはオリジナリティなんかないんだ」と絶望とも苦悩とも開き直りともとれる発言が吐露されていた本書はものすごく衝撃的だった。
そしてその上で、「オリジナリティはない。けど、唯一オリジナルといえるのは自分の生きてきた経験だけで、それが自分には特撮やアニメだったんだ」という突き抜けた結論である。
だからこそ、「シン・ゴジラ」は庵野秀明の作品であるということが重要で、あれを庵野秀明以外の名前で発表したら、それこそこの作品の真価が理解されなかっただろう。
庵野作品ファンは、庵野秀明の「作風」が引用に満ちた、過剰なまでのパロディ一歩手前のオマージュが怒涛のように折り重なったものであることを「知っている」
が、新劇場版:Qでは、それが完全に抜け落ちてしまっていて、どこかに引用元があったのかもはしれないが、「ものすごく綺麗だけど、しかしどこか庵野作品らしくないエヴァ」になってしまったことは否めない。個人的には、これは見たこともないものを作ろうとした結果だと思う。
いい意味で庵野作品の作風はコラージュである。過去の作品を踏まえて、一つの場面の中に過剰なまでの情報を詰め込み、「意味はわからないがなにか凄いドライブ感がある」「深読みがどこまでもできる」ということを最大限に重視した仕掛けがあちこちに散りばめられている。その特製を活かしていくらでも場面の深読みができる映画になっているのは、むしろもの凄いオリジナリティであるといえる。
ほんの一瞬のカットでも、それだけで語ることがある実写映画というのは他に例がない。
ふつう、仮にそういうことがあったとしても「このシーンは撮るのが大変で」という現場しかわからない苦労話になりそうなものだが、「シン・ゴジラ」の場合は「このシーンの引用元は●●という映画のこの場面で、そちらの映画ではAという存在がBを脅かしているが、この作品ではそれがCとDにあてはめられていると解釈できる」などと語れるシーンが多く、全てのカットに理由付けできるのではないかと思えるほど、緻密に構成されている。
早口の台詞、観客が一度見たただけでは到底理解できないようなディティールに溢れた表現。
たかがワンカットでも意味づけされ、場面に奥行きを与える。それが庵野作品の最も庵野作品らしい所以であり、「シン・ゴジラ」を見た時に「これぞ庵野作品」とファンが興奮する「ツボ」でもある。
それでいて、脚本そのものはもの凄いオリジナリティがある。
想像上でも怪獣の居なかった世界に突如現れる巨大不明生物。
実はあそこで描かれる日本は、現実の日本と微妙に違う。
たとえば平成ガメラの世界には「カメ」がいない。「MM9」の世界には「台風」がないかわりに巨大不明生物(Mと呼称される)がある。
現実世界の日常にあるものを敢えて「無くす」ことでその特異な存在をなじませる手法は樋口作品の特徴だが、今回はそれが実際に存在しない「怪獣(ちなみに本作内では巨大不明生物と呼称され、怪獣映画が存在しない世界設定となっている)」を設けることで、作劇上の緊張感を増すことに成功している。
さらに、ゴジラが熱戦を放つシーンなどは、おそらく1コマごとに監修が入ったことが想像できる。
「このツールではこれくらいしかできないから」という言い訳や妥協を許さず、できるだけイメージに近い絵作りを丁寧に行った結果があの見事な特撮シーンとして結実するのだ。
まあ、なんつーことをわざわざ僕ごときが指摘するまでもないくらい良く出来てるんだけどね。
しかしほんと、一つの作品についてこんなになにか書きたくなるのは20年ぶりですよ